弘道館(☆☆☆,水戸)

博物館

 梅が咲いていない偕楽園へ行っても仕方が無いので、それの対として作られたという藩校「弘道館」へ行ってみることに。資料などの展示はそれほど多くなく、復元された当時の建物自体の見学が中心ですが、幕末間際の時代に当時の人達は何を考えてここへ通ってきていたのかな、とか、なんとなく当時の空気に触れることができました。

 江戸時代の終わりに開かれた日本三大学府の一つに数えられ、また日本最大の藩校と自称(!)する「弘道館」は、ペリー来航から12年ほど前に困窮していく封建制度や藩の財政を立て直すためには学問/教育が必要だよね、ということで9代藩主斉昭によって開かれました。
 2代光圀公(黄門様)が「史記」に刺激されて着手した「大日本史」編纂のため学者・識者などが集められたことがきっかけで「水戸学」が始まり、その延長線上に弘道館は位置しています。儒学を中心としつつ日本古来の伝統を追及していく学問で、水戸藩外でも教えられて吉田松陰や西郷隆盛らにも影響を与えたそう。弘道館が作られた頃には徳川御三家のひとつでありながら「尊皇攘夷」を謳う様になり、さらに斉昭の子供である慶喜が最後の徳川将軍になって大政奉還に至る、という幕末の歴史と密接に関係しています。

 ちなみに斉昭公は「一張一弛」という思想を持っていたそうで、「張」として弘道館を作ると同時に「弛」の場として「偕楽園」を作ったそうです。

 これだけの学校なので非常に多くの書籍を所有し、明治維新後は大半が官立の旧制高校へ引き継がれたものの第二次大戦の空襲で焼失し、またそれ以外に1万冊ほど残った蔵書は県立歴史館に管理されているとのこと。そんな歴史のせいか、あまり資料などの展示や解説は多く無くて、従って見学のメインは弘道館の建屋そのもの。
 さすがに部屋数が多く、また各部屋は広々としていて、またその周りには梅や桜などの木々が配された庭が広がっており、全体的にとても落ち着いた雰囲気です。いくつかの主要な部屋では「ここで○○が××した」という様な説明が掲示されていますが、まぁ特段何か残っている訳では無いので「ふ~ん」という感じで通り過ぎてしまいましたが。

 最後の方には徳川慶喜に関する説明もあって、水戸で家族と写っている写真とか、晩年立派な軍服(礼装?)を着ている写真とかを見ると、今まで全く「大政奉還後の慶喜」について意識したことがなかったけれど、ひっそり消えてしまったわけではないどころか明治新政府でも働いて長生きしたことを知り、ちょっとビックリ(ちなみに享年77で最も長生きした将軍サマだそう)。

 大まかな流れはともかくとして、弘道館や水戸学の内容や果たした歴史的役割などをより細かく知りたい人にとっては、あまり資料などが用意されていないので物足りない面もあろうかと思いますが(まぁ、そもそもここは「公園」という位置づけであり「博物館」ではないそう)、広々とした建屋の中をノンビリ歩くだけでもなんとなく当時の気分を味わえる気がします。

hisashi

hisashi

長年の間にあちこちの引き出しに少しずつ溜まったガラクタを ただただ、適当にひっくり返して並べてみました。

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