「視察船 新東京丸」による東京港1周を終えて青海客船ターミナルに着いた先には初代南極観測船「宗谷」の勇姿。偶然ではありますが立ち寄って、南極観測船時代に復元された船内を見学しました。
ちょうど今年(2018年)艦齢80年を迎えた「宗谷」は、元々はソビエトの発注で建造された「砕氷能力を持つ貨物船」ですが、進水したのが第二次大戦直前のため引き渡さずに商船として完成され、その後海軍に買われて輸送船として使われて、終戦とともに引揚船として運行され、その後海上保安庁所属となって灯台補給船を経て1955年に最も有名な「南極観測船」へ(ここまでで17年)。
その後1962年までの7年間で6回南極を往復し、でもまだそれで終わりではなく、その後1978年の退役までそのまま海上保安庁の巡視船として主にオホーツク海などで流氷の中での救難活動などに大活躍。
退役後は永久保存船(ただし静態保存)として適宜復元工事を施しながら一般公開されているが、今でも巡視船として登録されており、トッキュー(特殊救難隊)の訓練で使われているという、非常に数奇な運命をたどりつつ、未だ現役の風合いを残す船です。
(偶然オレンジ服の特殊救難隊が来船して訓練を開始したのを見て、初めて知りました。)
もちろん現在の「宗谷」は南極観測船仕様に復元されていて、船内要所は調度品や備品類,さらに人形なども配して南極観測隊の様子が示されています。当たり前ですが、そもそも「南極へ行く」ことを想定して設計された船ではないし、しかも決して大きくない(とはいっても巡視船としては最大級だった様ですが)船の中に全ての機能を詰め込まなければならないので、船室などもコンパクトにまとめられている反面、それでもちゃんと上級船員/隊員の部屋には応接テーブルなどが備えられているのが逆に「船っぽく」感じます。
ただし、赤道を通って南極までの航路は「灼熱と極寒」を端から端まで体験するハズで、この船体で完全空調とはいかないだろうし、きっと断熱も不十分で特に南極では辛かっただろうなぁ、と想像しました(根拠はないけれど)。
残念ながら、南極観測船とするための技術的/構造的工夫など大変興味があるところですが、説明などは略皆無。このヘンは宗谷の経験に基づき論議を重ね、南極観測船として最初から設計・建造された「ふじ」の方が詳しそう。名古屋港に保存されているそうなので、その内行ってみようかなぁ、と思います。
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