正月に水戸へ来たらやはりココに寄らねば、ということで訪れた「笠間稲荷」。三が日からは1日外れているにも関わらず、さすがの人出。確かに拝殿は立派だったけど、でもなぜこんなに人気があるのかなぁ?
日本三大稲荷のひとつに数えられ、初詣は鹿島神宮を押さえて茨城県一位、関東でトップ10、全国でもトップ20に入る人出を誇る笠間稲荷。ちょうど到着が正午過ぎになりましたが、もちろん道は渋滞、駐車場も満杯。偶然パッと開いた駐車場(多分この時期だけの個人営業)に駐めることができましたが、さすがの人気ぶり。
仲見世と直行する門前通りにはずらりと土産物、飲食店が並び、さらに空き地を使った模擬店も出る賑わいぶり。ただしそれほど太い道ではないため車道と分離されておらず、駐車場待ちの行列と神社へ向かう人混みが錯綜して、そこそこのカオスぶり(人を避けて車道へ不用意に踏み出した人が、ちょうど動き出した車に足を踏まれて揉めてました…)。
大きな赤い鳥居をくぐって、やはり模擬店と参拝客でにぎわう仲見世の先には、「笠間朱色」と名付けられた朱色に塗られた立派な楼門(寺ではないので仁王様ではなく武官姿の随神が守っています)。
拝殿ももちろん「笠間朱色」。なかなか派手な装いです。左右にはお守りやおみくじを扱う窓口(!)がズラリと並び、多くの人が群がっています。
もともとお稲荷様は農業の神様から始まって商売繁盛まで扱う様になったそうですが、それにしてもこの賑わいぶりはどこからきたのでしょう?楼門や拝殿は大きく立派ですが、どこか「荘厳」とは違う感じ。まぁ正月なので、例えば鹿島神社の重々しい雰囲気(行ったことないけど)よりもこの華やかな感じが良いのかもしれませんが、それにしてもそれほど広いわけでもなく、珍しい史物が遺されているわけでも無いですし…
気になってオフィシャルページやwikiを見てみたのですが、江戸時代よりも前のことは社伝以外にはほとんど記録に残っておらず、また歴史上の重要事や著名人と絡んだ、ということもほぼ無い様です。
さらにもう少しwebを漁ってみると、どうやら元々は笠間土着の信仰として笠間藩歴代藩主に手厚く扱われてきたものですが、この笠間藩の藩主は1~2代毎に次々と別の領地へ移封されてその地に別社を作って信仰を広めるとともに、次の笠間藩藩主もまた信仰を受け継ぐ、ということを繰り返していた様だということがわかりました。きっとこれにより関東を中心に広く知られる様になったのかもなぁ、と勝手に想像する次第。
せっかくなので何か土地のモノでも食べたいなぁ、と思ったけど、さすがに昼時ということもあってお店も模擬店も一杯。そもそもここの名物って何?と思いつつ門前通りを進むと店先で売っている「稲荷寿司」に遭遇。
そりゃ、お稲荷さんは稲荷寿司だよな、、と思ってよく見ると普通の稲荷寿司とともに「そば蕎麦」というものがこの店の名物だそう(あとで調べたら、そこそこの老舗でした)。名物なら食べなきゃ、と思って買ってみましたが、う~ん、正直ふつうの(酢飯が入った)稲荷寿司の方が良かったなぁ…
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