ちゃんとお参りするのは初めてとなる「善光寺」。好天気にも恵まれた一方で、朝早かったこともあってかそれほど混雑することも無く、じっくり堪能することができました。
5年ほど前に訪れた時は、仕事の合間に本殿をお参りしただけなので、ちゃんと善光寺をお参りをするのはこれが初めて。善光寺平とも呼ばれた長野盆地の北西端近くに位置し、ほぼ平坦(南に向かって僅かに傾斜)な土地に北側から本堂を含む境内,仲見世,宿坊街,表参道街の4区画がきれいに並び、そのままさらに中央通りをまっすぐ南下すると長野駅につながる、という、非常にわかりやすく、迷いにくいレイアウト。
看板(!)の文字に鳩が載っている(!)ことで有名な「山門」や高村光雲が作った仁王像で有名な「仁王門」は、さすがに立派。
特に山門は、石川五右衛門が上った(とされる)南禅寺三門よりは一回り小さいものの、周囲の宿坊・社寺,さらには善光寺本堂までをも見下ろす威容を誇るもので、2000年になってからの修復後は上階に上がって周囲を見渡せるようになったので、もちろん拝観。今日も盆地安定の「晴れ」なので、善光寺盆地に広がる長野市街や、盆踊りの櫓と提灯の準備が整いつつある本堂前を見渡すことができました(せっかくの景色なのに、全面人・モノ落下防止のためであろう網が貼られていて、写真撮影にはちょっと難有でしたが)。
山門から全景を眺めた後は、本堂へお参り。さすがに本堂内はかなり広く、でもかなり暗くてどこに何があるか、あまりわからないまま正面へ向かってお参り。その後せっかくなので「ご戒壇巡り」の修行を行うことに。
これは、他のお寺では「ご胎内巡り」と呼ばれるものとほぼ同じもの。ご本尊様が祀られる瑠璃段下にある真っ暗な回廊を巡って再び日の光の下に戻ってくることで疑似的に「死~生まれ変わり」を体験するという意味合いを持つと同時に、途中にある「極楽の錠前」に触れることができるとご本尊と結縁し、極楽浄土が約束されるという修行です。
多分50mほどの距離だとは思うのですが、中は本当に、完全な真っ暗(非常口を示す明かりすらありません)。「右側の壁に沿って進め。腰の高さくらいのところに錠前がある」という指示だけを信じて進むのですが、途中右や左に曲がるので、手が壁から離れてしまうと完全に方向を見失ってしまいそう。「腰の高さ」も人によって違うので、一所懸命右手を上下に動かしながら、その結果すっかり手がだるくなってしまいましたが、なんとか道から外れることなく、ちゃんとご本尊様と結縁して修行を終えることができました。
無事修行を終えた後はぐるりと本堂裏の庭を周って(途中、森永乳業が奉納した「善子ちゃん」と「光子ちゃん」という牛の親子の石像がありました)、忠霊殿と呼ばれる三重塔の下にある資料館へ。
本堂の瑠璃段前にもあったのですが、善光寺はいくつかの場所では普通に立ってお参りするだけではなく、ちゃんと座って、しかも線香ではなく焼香してお参りする様に設えられています。今まで(そんなに多くのお寺に行ったわけではないのですが)他では見たことが無くて、新鮮に感じつつ、こちらでもちゃんと座ってお参り。
資料館はあまり広くは無いのですが、中の半分は如来様が顕現されたことを感謝する絵馬や五百羅漢などの奉納品が、また半分は仁王像の原型など神仏の木造が展示されています。特に、実物では全体を見ることが難しい仁王像は非常に貴重。小さいにもかかわらず、ビンビンと伝わってくる迫力はさすがです。
善光寺で最後にまわったのは「経蔵」。外観はちょっと大きめだけどまぁまぁ普通のお堂。でもこれも重要文化財だそうで、その神髄は中にある「輪蔵」の様。
この「輪蔵」は、言わば中心を通る軸に支えられて宙に浮いた「八角柱」。中には経本が収められており、周囲に張り出す腕木を押すと軸を中心に蔵がまわり、一回転させると一回お経を読んだことになるという、考えようによっては非常にお手軽な施設。チベット仏教のマニ車と同じ発想と思いますが、他のお寺ではあまり見た記憶がありません(が、webを叩くと日光東照宮や鎌倉長谷寺,京都西本願寺などにもあるそうです)。こんな風変わりなものがあるのは、ここ善光寺が「仏教が各宗派へわかれていくよりも早くできた」ため「無宗派」だからかもしれません(と、勝手な解釈)。
いつの間にか善光寺1ヶ所で4時間弱が経過(その前に行った蕎麦屋さんの滞在時間はもちろん除いて)。のんびりペースではあったけど結構歩いたし、結構いろいろ見たし、来てよかったなぁ、と思いつつ善光寺参りは一旦終了(後は夜の部)。
2019.08.14
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